一九九八年四月、発案から五年の準備期間を経て、ここに総合芸術大学としては日本ではじめての通信教育部が開設しました。昨年十二月末に文部大臣の認可を受けて以来、この通信教育部に一二、○六六人の方々から資料請求と入学の希望がありました。そのうち一、四〇九人の方が入学手続きをしました。何らかの事情で出願は見送らざるをえなかった、しかしいつか芸術を学びたい、そう考える人たちが一万人を超えたという事実は、私たちにたいへんな驚きと新たな希望をもたらしました。
文部省から許された定員は三〇〇人でした。当初本学が希望した定員は五〇〇人でしたが、そんなにも志望者は集まらないだろうと思われていました。通信教育、それも経済でもなければ情報でもない、〈通信による芸術教育〉にそれほどの期待があるはずがない、というのが開学前の大方の予想でした。しかしその予想は見事にはずれました。
一二、○○○余の方々の地域を見ると、関東、近畿を中心に全国に広がっています。年齢では三〇~四〇代を中心に二〇代から八〇代まで、幅広い年齢層を構成しています。もちろん学歴も、高校卒から大学短大卒、さらには大学院卒まで、まさに多種多様です。入学の理由としては、技術の修得や資格の取得にとどまらず、芸術学や美術史などを通して芸術の根源を求めたいとする人たちも大勢います。このこともまた、私たちの驚きのひとつでした。
〈通信による芸術教育〉がこんなに幅広い層の人々に、これほど広範囲に支持されるのはなぜで しょうか。これにはいかなる必然性があるのでしょうか。
通信教育には実に様々な人々が集まってきています。ある人は、高校で美術を教える中で芸術の意味の深さを感じ、すでに遅いと諦めかけていた芸術学をいよいよ学ぼうとしています。またある人は、病院勤めをしながらつづけてきた陶芸を、新たな気持ちで基礎から勉強しようと考えています。
広告代理店でCMプランナーをしながら、通信教育によって自分を見直し、新たな可能性に挑戦したいと考えている人もいます。定年後の第二の人生を迎えて、両親の反対で諦めた芸術の道に進むことで、若い頃の夢を実現したいと願っている人もいます。介護福祉士を職業としながら、絵画を通して福祉のあり方を豊かなものにしようと志す人もいます。
それぞれに個々の理由の違いはあれ、芸術と文化を求める心は共通しています。芸術を通して自分自身と向かい合い、自分自身をみつめ、自分のおかれている状況や自分の生きている時代というものを考え直し、新しい自分の可能性や生き方を求めたい。意識するとしないとに関わらず、そうした自立的精神や批判的精神が底流にあることは確かなことのように思われます。
人々は、確かな拠り所が科学技術や経済にあるのではなく、宗教や哲学、芸術や文化にあることに気づきはじめたのではないでしょうか。〈通信による芸術教育〉は、そうした要請の拠点として、多くの人々の期待を集めつつあるのだと思います。
自然科学と社会科学を原動力として理性の上に築き上げられてきた現代文明、その功罪が明らかになるにつれて、歴史の中で生成し、蓄積され、伝承されてきた精神活動の総体である文化、そのあ らわれである宗教や文学や芸術表現がますます重要なものになってきています。
どこに漂っていくかわからない日本の中で、そしてまた絶望的なほど混迷する世界の中で、一万人を超える人々が芸術の通信教育を求めているという事実は、大きな希望をもたらすものではないでしょうか。
果たして〈通信による芸術教育〉は可能か。私たちは繰り返し自問してきました。それは一見不可能なことのようにも思われました。
芸術とは何でしょうか。芸術を教えるとはどういうことでしょうか。
ただひとつ確実に言えるのは、芸術とは感動する心をつちかうことであり、また、芸術を教えるとは感動する心を伝えることなしにはありえないということです。
私たちが〈通信による芸術教育〉にたいへん困難を覚えたのは、この感動する心を、通信という手段によって伝えることが、途方もなく難しいことに思われたからにほかなりません。しかし、今や通信という手段によっても、それは不可能なことではない。そうした状況が生まれつつあります。
遠くはベトナム戦争の教訓、近くは一九八九年十一月九日、ベルリンの壁の崩壊。破壊された壁の前で歓喜する人々の姿は、長きにわたって自由を囲い込むことは不可能であることを、感動のうちに私たちに教えてくれました。
あるいは一九九二年から激化したボスニアにおけるイスラム教徒、クロアチア人、セルビア人勢力間の血で血を洗う紛争。息子や父母や肉親を失った人々の悲しみの表情、瓦礫と化し荒廃した街の様子。
またさらには、アフリカをはじめとする発展途上国に人為的にもたらされた食糧飢饉によって、栄養失調状態におかれ、伝染病に侵されていく子どもたちの姿。
こうしたリアルタイムに送られてくる映像は、世界中の人々の喜びや悲しみ、憎しみや愛情、人間の愚かさのひとつひとつを、私たちの心に刻みつけるように伝えてきます。それは、私たちの心を震撼させます。私たちは、今を生きる人々の姿に、人間という不可解な存在に、人類が直面する苦難に、感動し、共感し、悲嘆し、絶望し、あるいは歓喜します。
芸術は、感動する心だといいました。通信技術の発展は、画像情報を瞬時に伝え、遠く離れた人々の間に感動を呼び起こします。芸術が通信によって可能となると思われる根拠がここにあります。
現代の高度な情報通信技術は、まさに文明の、科学技術の、所産に違いありません。しかし、そうした技術を用いることによって、人間の豊かな精神活動のあらわれである芸術や文化を、感動のうちに伝えることが現実になりつつあります。
いや、ぜひとも私たちの手によって、現実のものにしなければなりません。
通信によって感動を伝える。試みはまだ緒についたばかりですが、〈通信による芸術教育〉の成否は、そこにかかっていると言ってもよいと思います。
去る四月末から五月初旬にかけて、京都の本学と東京においてオリエンテーションが開催され、約五〇〇人の参加者がありました。出席した教員の報告を聞くと、一様に、参加者の熱意と真剣さに圧倒されたという答えが返ってきました。ほんとうに、示し合わせたように、同じ感想が返ってきたのです。教員は皆、参加者の熱意と真剣な眼差しに怖れを抱いたようでした。その怖れは、教えるということに対する、本来大学が当然抱いていなければならない怖れだと思います。
このことはとても大事なことです。教えるものと教えられるものとの緊張関係が惰性に帰したとき、大学というものは堕落の道を辿りはじめたに違いないからです。
この学園の創設にあたって、私は次のように考え、創設の辞に記しました。
移り変わる時代と環境の中で自己を確立し、より創造的たらしめようとする師のあり方は、いかにも苦渋に満ちたものであるし、その姿はまさに偉大という外はありませんが、その意味では教師もまたきみたちと同じく一個の学生としか言うすべはありません。
わずか数歩、あるいは数十歩、きみたちより先んじて歩いている先輩とでも言うべきでありましょうか。
この考えは今も変わりません。そして、通信教育にこそ教師はいない、ということを痛感します。
長い道のりを歩んでこられた経験豊富な人生の先輩を前にして、あるいは、社会の最前線で全力投球で仕事に打ち込んでいる方々を前にして、あるいは、新たな人生の目標を定めようと真剣に芸術に取り組む人々を前にして、教師は果たして何を語ることができるのか。
自問し自答し努力し研鑽すること以外に、数歩先を行く教師でありつづける道はありません。そして、この心の姿こそが、大学改革にあたる大学人の基本姿勢であるべきではないでしょうか。
その意味で、通信教育は、大学に真の自己改革を迫るに違いありません。
一九九八年五月九日の通信教育部開設記念式典において、芳賀徹東京大学名誉教授は、祝辞の中で 次のように語っています。
夏目漱石は、少年のころから南画などをじっとみているのが好きな子どもでありました。青年のころは建築家になろうと夢見たこともありました。明治三十三年(一九〇〇年)の秋から、二年半のロンドン留学のあいだは、息の詰まるような苦しい勉強と、日本人としての心理的なコンプレックスのなかにあって、美術館に行くことと劇場に通うことだけが唯一の楽しみでありました。そしてまた、救いでありました。
日本に帰ってまいりましてからは、しきりに水彩画を描きましたし、自分で水彩の絵はがきを一〇〇枚近くも描いては、友達やお弟子たちに自慢げに送っております。
大正年間に入ると、その死にいたるまでの短い五年間、小説の創作に努めながらも、彼は自分の暗い憂欝な心を、ただ一つ、絵を描くことによって救っておりました。津田青楓、京都の出身の画家で、洋画、また日本画もやった画家でありますが、津田青楓を先生にして、たとえ下手ではあっても、自分でも認めるほどに下手ではありましたけれども、南画ふうの山水画を何十点も描いたのであります。
この四〇代なかばであった夏目漱石が、絵を描きながら、津田青楓にあてた手紙の一節をひいて、私のお祝いの言葉にさせていただきたいと思っております。大正元年十一月十八日、夏目漱石が津田青楓にあてた手紙であります。
「今日縁側で水仙と小さな菊を丁寧にかきました。私は出来榮えの如何より畫いた事が愉快です。書いてしまえば今度は出来榮えによって樂しみが增減します。私は今度の畫は破らずに置きました。此のつぎ見て下さい」
翌年、大正二年十二月八日、同じように漱石は津田青楓にあてて、こうも書きました。
「生涯に一枚でいゝから有りがたい感じのする繪が描きたい山水動物花鳥何でも構わないありがたいので人が頭を下げるような崇高の氣分を持ったものをかいて死にたい」
絵が好きな心を吐露して、ほんとうにいい言葉ではないでしょうか。芸術が人間を救い本来の人間に蘇らせる、魂を蘇らせるということは、このような慎しいかたちでもありうることなのであります。
日々の生活の中における芸術創造の意味を、まことに的確に、かつ鮮やかに伝えるエピソードであると思います。
通信教育で学ぶということは、孤独な作業であることでしょう。何であれ、真剣に努力することは 苦痛をともないます。しかし、孤独と情熱と苦悩は、人と人とを深く結び付ける役割も果たします。
苦悩を分かち合う、新しく入学した一、四〇〇の学友を思ってください。そして、それを取り囲むように存在する一二、○○○余の熱意の広がりを想像してください。
芸術的創造と哲学的思索。
良心を手腕に運用する新しい人間観、世界観の創造。
通信教育が私たちの芸術運動の重要な基盤となるであろうこと、通信教育がもたらす深く静かな、しかし情熱にあふれた芸術の運動が、間違いなく、人間の未来への希望につながっていくであろうことを、私たちは確信しています。
一九九八年 六月