藝術立国

藝術立国

平和を希求する大学をめざして

はじめに わが学園が出発した一九七七年一月一〇日から満三〇年、ここにまた、新たな三〇年のはじまりの年を迎えました。 この学園の歩みは「まだ見ぬわかものたち」に向けた言葉から始まりました。その冒頭に私は次のように記しています。

いま、ここに、学園は新しい出発の時を迎えようとしています。 この時にいたって、私は、一つのためらいをかくすわけにはいかないのです。 今日の状況下で大学をつくることの物理的な困難についてはいうまでもありませんが、もっとも大切なこと、――それは、高い理想を掲げ、わかものたちを集める教育研究の場に当る者は、みずから未来への展望と、それを実現させていく深い思想を持たなければならない、集まってくる青春群像にむかって、「かく生きるべし」と堂々と語りかけるものを持っていなければならない、ということです。

新たな三〇年ヘ踏み出そうとするいま、その志は全く変わっていません。 学園創立の理想は「京都文藝復興」の運動に結実し、いよいよ「日本の藝術立国」を展望できるところまで来ました。

省みれば開学から今日に至るまで、二〇世紀から二一世紀ヘと移り変わる激動の時代でした。 ベルリンの壁が崩壊し、東欧に民主化革命が起こり、ソ連が崩壊して世界の冷戦構造が終わりを告げました。しかしそれでも、地球上に平和は実現されませんでした。 中東やアフリカなど、多くの地域で民族と宗教の闘争は激化の一途をたどり、二〇〇一年には、あのニューヨークの事件が起こり、そしていまなお、世界中で戦争と殺戮が繰り返されています。 この間、人口の爆発的増加による貧困と環境破壊は急速に悪化し続け、人類の生存を脅かしています。 一九七四年に四〇億人に達した世界の人口は、二〇〇六年には六五億人を超え、このわずか三〇年ほどの間に二五億もの人口が増加しました。 地球資源の消費量において、一四億の人口を擁する中国が、先進国・米国を上回りました。その中国をはじめ、二〇三〇年には世界最大の人口となるインド、さらにその他の発展途上国が米国並みの生活水準に達したとき、地球はいったいどうなるのか。 地球が養うことのできる人口は、発展途上国の生活レベルで九○億人から一〇〇億人と試算されており、明らかに人口の爆発は地球の許容量を超えつつあります。 人類は、叡智を結集して、環境破壊をくい止め、貧困を根絶して幸せを得るか。 それとも地球の資源を消費し尽くし、戦争と殺戮を繰り返しながら、滅亡への道を辿るか。 次の三〇年は、間違いなく、人類の生存を決することになります。 そう考えるとき、我々がいま進めている芸術の運動にこそ人類の未来がかかっている。「戦争と平和」、「戦争と芸術」の問題をどこまでも訴え続けていこう。これまでもそうであったように、これからもこの道を一筋に進んでいこう。そういう決意が、改めて沸々と湧きあがってきます。

学園の現状とわが使命 わずか一七五人の入学定員から出発した学園は、三〇〇〇人の若者たちが集う芸術大学に成長しました。 通信教育の運動は一〇年目を迎え、六二〇〇人の社会人が学ぶまでになりました。言うまでもなく、わが文藝復興の運動が全国に大きく展開できるようになったのは、通信教育の成功に大きく与っています。 やはり開学以来取り組みはじめたこどもと母親のための図書館の活動から「こども芸術大学」が生まれました。来年度からは四〇組八〇人の母と子が学ぶことになり、その活動も軌道に乗ってきました。 兄弟校である東北芸術工科大学は、昨年一五周年を迎え、大学経営にとってはまことに厳しい東北の地で、「東北ルネサンス」を掲げて見事に闘っています。 東京に設立した日本文化藝術財団は、現代文明に背を向けて生きてきた人々、あるいは現代文明と正面から対峙して生きてきた人々、そうした人々に光をあてる活動を続けて、着実に地歩を固めてきています。 東京を中継して京都と東北を結び、世代を超え地域を超えて、良心ある人々とともに、「世界平和を希求する大学」としてさらに力強く前進していくための基礎が、確かにでき上がってきました。 そして何よりも心強いことに、わが学園には、若い優れた人物が数多く結集してきています。特にここ数年、多くの優れた人物を発掘することができました。京都でも山形でも、後に続く若い世代が生まれてきています。 その世代が存分に力を発揮できる体制づくりに寄与することが、理事長としての最大の使命だと認識しています。

新たな三〇年の展望

一、世代を超え、地域を超えた芸術運動をめざす 平和を求める芸術と文化の運動を、いかに世代を超え、地域を超えて、日本の隅々にまで浸透させていくか。それがわが学園の命題です。 日本全体を包み込みながら、世界へと広がる運動をさらに大きく力強く展開していかなければなりません。 (ア)通信教育―社会人とともに 通信教育は、文藝復興の運動を日本全国へといきわたらせる血流となって、学園の大きな柱に成長しました。この通信教育によって、多世代、多地域に開かれた新しい大学の展望が生まれました。この通信教育をさらに発展させることが、文藝復興の運動強化につながることは自明です。そのため、今年から出発する通信制大学院の充実を進めながら、学部教育をいっそう充実させることが必要です。 年々拡充を続けている東京サテライトキャンパスの再整備に着手し、その上で、東京だけでなく、それぞれの地域における学生たちの活動を支援する「地域の拠点づくり」を進めます。 また、「こども芸術大学」の展開と歩調を合わせるかたちで芸術教育士の養成をめざすコースの設置や大学院の分野の拡充、さらに多くの人々が芸術に触れる機会を増やす教育の仕組みづくりなど、社会人の希望に沿う新しい通信教育の展開をめざします。 (イ)「こども芸術大学」―こどもと母親との連帯 「こども芸術大学」の開学により、わが学園は、人間形成の基礎となる幼児期の芸術教育の第一歩を踏 み出しました。今日のこどもをめぐる社会状況を見ると、こどもと母親のための芸術運動なくして文藝復興の更なる展開はありえないことが痛感されます。「中南米やアフリカや、こどもたちが苦しんでいる国々に、この運動を広げてほしい。」在校生からそう要望されました。それが実現する日が必ず来ます。 東北芸術工科大学の「こども芸術大学」と連携して教育内容の充実に努めながら、その運動の全国への展開をめざします。さらに「こども芸術学科」において、こどもと芸術に関する探究を進めて原理と方法の確立をめざしながら、こどもと母親の教育にあたる若者を育成し、より強固な展開をはかります。 (ウ)一貫した芸術教育の体系に向けて わが学園は、一八歳から二〇代の若者たち、社会人、そしてこどもと母親が、共に学ぶ大学に変貌を遂げました。しかし、六歳から一一歳までの児童、一二歳から一七歳までの生徒たちに、我々の芸術運動をどう広げていくか。幼児から社会人に至る一貫した芸術教育の体系は、どうしても取り組まなくてはならない課題です。 今後、こども芸術学科を中心とする教育研究の成果や、「こども芸術大学」の活動、高校大学間連携の取り組みなどを糸口にして、東北芸術工科大学が展開する「全国高等学校デザイン選手権」の成果にも学びながら、その課題に取り組みます。

二、京都と東北を結んで日本の復興をめざす

振り返ってみれば、敗戦後の焦土と化した日本を見て、民族の歴史と文化の源流をたどり、日本人の魂の故郷を明らかにすることこそ日本復興への道であると考え、私たちは大学創設を決意しました。 そして、日本文化の中心である京都に焦点をあて、その志を実践する新たな芸術文化運動を「京都文藝復興」と名づけました。 しかし、短期大学を発足させ、新たに大学をつくり、芸術と文化の運動を通して日本の魂の故郷を求めていくうちに、京都が日本文化の中心となる以前、日本はいかなる姿であったのか、という疑問が湧いてきました。弥生の向こう側にあるものは果たして何か。 その疑問に背中を押されて、東北の大地を歩き回りました。そして、東北こそ日本に残された最後の「母なる大地」であり、現代文明の過ちを克服するための最後の砦であると確信したとき、この大地に大学をつくり、東北と京都とを結んで、縄文から弥生に至る深い歴史の底から日本のあるべき姿を探求する運動をはじめようと決意しました。 それが、東北芸術工科大学の出発点でした。

京都造形芸術大学と東北芸術工科大学は、それぞれ特色のある自立した運営をはかりながら、共通する理念のもとに連携して事業を行ってきました。  二〇〇〇年:単位互換制度を制定  二〇〇一年:東京サテライトキャンパスを共同開設  二〇〇二年:交換留学制度を開始  二〇〇三年:韓国事務所(ソウル市)の共同運営を開始  二〇〇五年:「こども芸術大学」を両大学に開学 京都造形芸術大学「世界アーティストサミット」と東北芸術工科大学「全国高等学 校デザイン選手権」との協力連携を開始  二○○六年:「東アジア芸術文化研究所」を開設(京都造形芸術大学、東北芸術工科大学、韓国・弘益大学校の三大学共同事業)

日本のあるべき姿を世界に向かって示していく道は、東北と京都、縄文と弥生の文化を一直線に結ぶ姿を描き出す運動にあると確信しています。 「こども芸術大学」の同時開校は、両大学に共通する理念を鮮明に示しました。 京都と山形を結び、蓼科の附属康耀堂美術館や東京の日本文化藝術財団を中継し、通信教育部生や卒業生たちの協力を得ながら、全国に「美術館大学構想」の理念を広げていくことも夢ではありません。 京都造形芸術大学と東北芸術工科大学の二大学連携による全く新しい大学運営の姿を示しながら、芸術による日本再生の運動を確実なものにします。

三、東アジアと連帯し平和をめざす 朝鮮半島では、世界を揺るがす事態が起こりつつあります。 昨年、北朝鮮は核実験を行って、世界中から非難を浴びました。しかし、考えてみれば、アメリカこそが世界最大の核保有国家です。しかも、人間の上に核爆弾を落とした経験がある国は、唯一アメリカだけです。そのアメリカは、いまなお一万発の核弾頭を保有しています。世界中でロシア、中国、フランス、イギリスなど九ヵ国に合計約三万発、地球を三○回以上破壊することのできる核弾頭が存在するのが現実です。いままたイランに触発されたアラブ諸国が、核拡大競争に奔走しはじめました。 このとき、なぜ大国が核廃絶の先頭に立たないのか。 幸せを求めながら憎み合い殺し合う人間の愚かさが、平和を妨げ、地球を脅かしている。 南北ベトナム、東西ドイツが統一を果たしながら、朝鮮半島ではいまも、民族と国土の分断状態が続いています。 半島全土が焦土と化す熾烈な戦争を経験し、五○年を超える歳月を経て、なお分断の中にある民族の苦しみを、我々は、どう受けとめるのか。 そして、民族統一ヘの悲願を抱く韓国・朝鮮の人びとと、いかに手を携えていくのか。 朝鮮半島の対立と緊張が解かれ、朝鮮民族の分断と悲しみの歴史に終止符が打たれてこそ、東アジアの連帯と平和への道が拓けます。 そうした東アジアの現状を考えるとき、中国の存在が大きく浮かび上がってきます。 中国は、世界政治において大きな影響力を発揮するようになってきました。その動向は、東アジアの命運を決定的に左右します。 東アジアの中の日本は、中国とどう向き合い、韓国とどう手を組んで、危機を乗り切っていくか。 その問題の解決を見出すために、東北芸術工科大学、韓国・弘益大学校との共同により、「東アジア芸術文化研究所」が設立され、いよいよ活動を開始します。この活動には、延世大学校や梨花女子大学校など、韓国の他の有力大学が加わります。さらに中国とも共同していきます。 日本、韓国、中国をはじめとする東アジア地域の伝統及び現代芸術文化の研究、芸術文化の交流史研究、そして教員・学生間の実際の学術交流を通じて、人類の危機の時代に、「東アジアにおける平和の問題」あるいは「芸術と文化による民族連帯の問題」に挑みます。

四、芸術の創造力で社会の変革をめざす 芸術を学ぶ若者に、人類危機の時代を克服しようとする強い意志をどう植えつけるか。他者の痛みに想像力を働かせ、多くの人々の幸せのために芸術の力を用いる姿勢をどう養うか。困難な問題を解決し社会を変革する創造力をどう身につけさせるか。すなわち、芸術家魂をもった若者をどう世の中に送り出すか。文藝復興とは、文藝復興を担う人間の育成にほかならず、それこそがわが学園の最も重要な使命であることは、言うまでもありません。 そのために、さまざまなカリキュラム上の改革が進んでいます。学生たちの活き活きとした姿を頻繁に眼にするようになりました。学園の理想は、次第に学生たちに浸透しつつあるように見えます。 この改革を強く推し進めながら、同時に、人類が直面する困難な課題を克服する鍵は人間の「想像力」と「創造力」にあることを、強く社会に訴えていかなければなりません。 この大学で学んだ学生が社会の中に活躍の場所を獲得してはじめて、大学は教育機関としての役割を果たすことができます。学生の活動を、全力をあげて支援し、若い「創造力」を社会の変革に役立てることのできる体制構築をめざします。

五、芸術運動の理想と哲学を探究する大学 芸術の立場から「戦争と平和」の問題をどう捉えていくか。 この世界の状況をどう認識するか。 その理想と哲学を学び伝えることが、基本です。 理想なくして大学は存在できず、また、依って立つ哲学なくして芸術の運動は存在しえません。 美とは何か。愛とは何か。 人間とは。そして、生命とは――。 もう一度繰り返しますが、大学が出発して三〇年。わが学園にとって、これまでは闘う基盤づくりでした。しかし、いよいよこれからは、大学の死命を決する三〇年になります。

ヨーロッパ・ルネサンスが起こった時代、世界の人口は、わずか四億人でした。地球は無限であり、人間の可能性も無限だと信じられた時代に、ルネサンスの運動が展開され、人間を万物の至上におく近代へと続く歴史の基礎となりました。しかしいまや、地球は有限であることが明らかになりました。 我々の「文藝復興」は、近代を支えた「ルネサンス」とはまったく似て非なるものです。 地球は有限であるという認識を基盤に、芸術と文化による人間精神の復興と世界平和をめざす新たな運動こそ、我々が提唱する「文藝復興」の運動なのです。  芸術とは何か。  芸術は戦争を抑止できるか。  芸術は地球上から貧困を根絶する力になるか。  芸術は人類の新たな救世主たりえるか。 「平和を希求する大学」としての旗幟を鮮明にし、後に続く世代を信じて、命のある限り闘っていく決意を新たにしています。 二○○七年 新春